【インタビュー】詩羽がソロ・アーティストとしても歌い始めた理由、そしてアルバム『うたうように、ほがらかに』の嘘のなさについて

【インタビュー】詩羽がソロ・アーティストとしても歌い始めた理由、そしてアルバム『うたうように、ほがらかに』の嘘のなさについて
水曜日のカンパネラの二代目・主演&歌唱担当として、詩羽は多くの人に知られている。その「二代目」という難しい役回りにおいて、「求められること」と「自分にしかできないこと」の重なった場所で軽やかに飛んでみせ、まだまだ未知の可能性と続いていく物語をも感じさせる彼女は、本当に逸材だ。しかし、そんな詩羽が水曜日のカンパネラと全く違うチャンネルで、自らが楽曲制作をするソロ・プロジェクトをスタートさせた。しかも、いきなり8曲入りのアルバム『うたうように、ほがらかに』をリリース。このインタビューの最後に「自分の正直な部分と好きなものが合わさったのが、このソロ活動」と自らまとめている通りで、詩羽という「個」の正直な部分と好きなものが合わさったところに、このロックな音とポップなメロディと心に直接触れるような言葉があったという感じ。そしてソロ・アーティストの「詩羽」として改めて対面した彼女は、この音楽と同じ率直な強さと儚さと魅力を持っていた。

インタビュー=古河晋 撮影=神沼美虹


だいたい歌って誰かのために歌うってことはなくて、なんだかんだ自分のために歌ってて、それがたまたま誰かのためになってるだけだと思う

──ソロとして歌の表現をしたいというのは前から思っていたんですか?

どこかのタイミングでソロっていう形で歌はやりたいなとなんとなく思っていて。去年の夏頃に、ドラマに参加させてもらって、その時に椎名林檎さんの“17”を歌ったのもひとつのきっかけだったなと個人的に思ってます。あれを歌った時に結構、今まで水曜日のカンパネラを聴いていない方たちからの評価もたくさんいただいて。そうやって人に歌が届いた時に、やっぱり歌うことが好きだし、もうちょっと自分で曲を作ったりもして、ちゃんとやりたいなって思うようになって。そこから結構すぐに行動しましたね。もともと行動するなら早いほうがいいというタイプなので。その時にはもう水曜日のカンパネラで日本武道館をやることも決まっていて、それが今年の3月だったから、その武道館以降に始めるのがいちばんいいんじゃないかと思ってました。

──歌いたいことは自分の中にすでに溜まってたんですか?

いや、特にそういうのがあったわけではないんですけど、でも水曜日のカンパネラでは、曲自体に私の思想は入れたくないなというのはずっとあって。それはこれから先も変わらずに、ケンモチ(ヒデフミ)さんが作った曲を私が主演&歌唱担当として歌うっていうやり方がいちばんよい水曜日のカンパネラの形だと私は思ってます。そこに思想を入れないからこそ、MCでは自分の言葉を伝えるっていう形で今まではやってて。でも、やっぱり自分で曲を作って歌うことで初めて自信を持って歌手って言えるんじゃないかなと思いました。武道館のタイミングで『POEM』っていう書籍を出させていただいたんですけど、そのくらいのタイミングから、自分の言いたいことを言ってもいいなって思える、自分のことを応援してくださる方がちゃんと見えたっていうのがすごく大きくて。そういう安心感があるうえで「じゃあ、自分の言いたいことも言えるようになろう」っていう思いがありましたね。

──なぜ『POEM』では、あそこまで自分のことを書こうと思ったんですか?

活動を始めて半年くらいで水曜日のカンパネラで“エジソン”の曲が割とヒットして、そういう意味ですごく話題になって見てくださる人が増えた中で、そこからまた時間が経ったうえで武道館まで来てくれる人たちに、それだけの時間をちゃんと通ったうえで応援してくださる方だなっていう安心感を覚えてきた頃だったんです。だから「言っても大丈夫なんじゃないかな」っていう信頼があったんですね。

──実際にみんなが初めて知ることもいっぱい書いてあったと思うんですけど、リアクションはどういうものでしたか?

それぞれだったなとは思うんですけど受け止めてくれる人たちがすごく多かった印象ですね。


──自分で曲とか歌詞を書くようになって『POEM』に書かれているようなパーソナルなことも楽曲に反映されていくことになったわけですが、詩羽として曲を作っていくうえで最初にやったことはなんでしたか?

歌詞を書きましたね。“MY BODY IS CUTE”と“teenager”の歌詞をいちばん初めに書いたんですけど。“MY BODY IS CUTE”は、今回MVを出した監督さんと、同じ大学だった頃、こういう思いを題材にしてショートムービーにして映像にしたいねって言って作ったものがあって、今回改めてそれを作品にしたいなと思ったんです。それで同じテーマのまま歌詞を書いてみたら案外すんなり書けましたね。"teenager”も同じタイミングで言いたいことを素直に書いていったら自然と書けて。歌詞はいつも迷うことなく割とすらすら書けるなあって思いますね。

──確かに、歌詞を自然にすらすら書いている印象があって、メロディにもそれを感じるんだけど、すごく伝えたいことが明解ですよね。これはある程度、他者に向けてるの? それとも、かつての自分とかに向けてるところがある?

だいたい自分に向けてじゃないですかね。だいたい歌とかって誰かのために歌うってことはなくて。たぶんみんな、なんだかんだ自分のために歌ってて、それがたまたま誰かのためになってるだけだなと私は思ってるので。私自身は誰かのためにこの曲を届けたいっていうよりは、かつての自分とか、大変だった頃の自分に届けられるといいなっていう。自分のために曲を作ってるっていう思いが強くて、それがたまたま誰かのためになったらいいなくらいの気持ちですかね。

──最初は歌詞だけ出てくる感じですか?

歌詞とメロディは、割と一緒に出てきてそのままバーッと書きますね。私、楽譜とかわからないので、作る時は歌詞とメロディが浮かんだら「Aメロのメロディと歌詞はこんな感じ、Bメロはこんな感じ、サビはこんな感じ」ってボイスメモだけで完成させてアレンジャーさんに「こういうのが作りたいんですけど、音乗せるならどんな感じがいいですかね」みたいな相談をして進めていきます。歌っていて気持ちがいい音だったり、この歌詞だったらこのメロディが自分の中に合うなっていうのが浮かんで、そのまま作っていってる感覚ですね。たぶんそこは感覚的に作ってるんだろうと思います。

──実際そうやって曲が生まれるようになって、どうですか?

なんか「意外とできるもんなんだな」って思いました(笑)。ソロをやるにしても、どの段階から始めるかってたぶん人それぞれだと思うんですけど「ソロやりたいんです」ってマネジメントに言いに行って「じゃあ、ソロをやるためにはこういう風に進めていったほうがいいんじゃないか」って提案してもらって進めていくみたいなやり方だとすごく流れが遅くなってしまうから、やりたいって思うんなら、できる何かを持っていないと口だけになっちゃうから、まず作ってみるところから始めなきゃと思って、やってみたら「あれ、なんかできた」みたいな感覚でしたね。

小さい頃から母に「大人は子どもが体が大きくなっただけで何も変わらない」って言われてたので、大人なんていないんだなって思ってました

【インタビュー】詩羽がソロ・アーティストとしても歌い始めた理由、そしてアルバム『うたうように、ほがらかに』の嘘のなさについて
──"MY BODY IS CUTE”、“teenager”以降は、どんな風に曲のバリエーションが増えていったんですか?

割と一気にいろんな曲を同時に作っていきました。いちばん初めにアルバムを出したくて、ポップな曲の他に、強い曲、優しい曲の3種類をギュッと詰めたアルバムにしたいという思いがありました。だからポップな“MY BODY ~”を作って、強めの曲の“teenager”を作って、そのあと優しい曲を作って、っていうので割と揃える形で曲を作っていきましたね。

──優しい曲っていうのは“magichour”とか?

そうですね。“magichour”、“トワイライト逃避行”、“deny”とかは優しい曲で。“メリーゴーランド”、“あとがき“、“teenager”は強めの曲。“MY BODY ~”、“人間LOVER”はポップな曲かなあと思ってますね。自分の中の喜怒哀楽ってだいたい3種類だなと思ってるので、それを分けていろんな自分を見せられたらなって思いがあったのかなと思います。

──なんか詩羽さんの場合、優しい曲の中に「喜」もあれば「哀」もある感じがしますよね。

そうですね、「喜」と「哀」は優しいの部類です。たぶん「哀」がメインではあるんですけど。

──その「哀」が強めの部分を優しさと呼んでる感じがして、しかも「哀」の表現と「大人になるとは?」みたいなテーマが繋がっている気がしたんです。もともと詩羽さん自身は大人になることについてどう思っていたんですか?

割と小さい頃から母に「大人は子どもが体が大きくなっただけで何も変わらない」って言われてたので、大人なんていないんだなって思ってましたね。だから私の中では、年を重ねた大人っていうよりは、面白くないことで笑ったり、常識的に生きていかなきゃいけないつまらない人間だったり、子どもを制限したり、子どもの自由を奪ったり、よくない年の重ね方をした人を大人って思ってて。だから自分より10年上でも全然この人大人じゃないなって人もいますし。逆に成人して社会に出て「ああ、この人、大人になっていっちゃってるんだな」って人もいますし。なんか年齢というよりは中身の問題かなとは思って、そういう意味で大人という言葉は使ってますかね。


──ちなみに水曜日のカンパネラとの出会いによって自分の生き方が変わったという感覚はあるんですか?

生き方、人生的にはすごく変わったなとは思うんですけど、それが自分を救ったかどうかとかに関しては、そんなこともないですし。もちろんいいことも楽しいこともあれば、大変で楽しくないこともたくさんある仕事だなと思うので。どこの道に進んでたとしても、私がこれを選ばずに就職してたとしても、きっと変わらなかっただろうし。どこにいたってきっと同じ感覚で生きていく、それは起こったことは変わらないからなんだろうなとは思いますね。

──今も水曜日のカンパネラとしての活動は精力的にしているわけですけど、水カンは今、自分の人生においてどういう存在なんですか?

楽しい場所くらいですかね。ファンの人とライブで会うのが私は結局、いちばん楽しいので。ライブで会ったファンの人がすごく嬉しそうに、楽しそうにしてくれてる瞬間が私にとってすごく好きな時間なので。それができる場所っていう感覚ですかね。

──では、それとは別のアウトプットとしてこの詩羽としての作品っていうものが世に出ていくということの意味は作り始めて感じ始めましたか?

私的には、そんなに意味を持ってやってないというか……たぶん周りから見たら、こういう思いだったり言葉を必要だと思って私が発してるということが意味になるのかなと思うんですけど、全然必要か必要じゃないかは考えてないっていうか。これが誰かの助けになるとも思ってないですし──それってやっぱりおこがましいなと思っちゃうので。ただ私は水曜日のカンパネラを楽しみながらやっているうえで、もっともっと自由にできることを増やしたいっていう思いがあったっていうだけですかね。もっと自由になりたいっていう思いがソロをやりたいというところに繋がりました。

──水曜日のカンパネラの場合は、他の人たちが決めたことも含めて楽しいわけですけども、自分の決めたことの中でやっていく楽しさが詩羽の活動の中にはある?

そうですね。水曜日のカンパネラのほうではできないこともあるので、そのできないことをできる場所を作れば、できることが増えるよなっていう割とシンプルな考え方ですね。

次のページ曲ができると他人事になっちゃう、俯瞰する感覚がたぶんずっと生きてるうえであるんです
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